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歴史につちかわれた松阪

 松阪市は三重県の中部に位置し、古くから軍事・交通上の重要な地にありました。14世紀の南北朝時代には、南朝方の有力な出城が市内の各所に築かれ、たびたび南北両軍の激戦が展開されましたが、15世紀になると伊勢国司・北畠家の支配下に置かれました。1570年、北畠家臣の潮田長助は松坂城跡(国史跡)がある丘陵地に初めて砦を築いたといわれています。
 その後、北畠家が織田信長に滅ぼされると、やがて近江国(滋賀県)日野から蒲生氏郷が入封しました。1588年、氏郷は砦があった丘陵地に堅固な石垣と堀を巡らした本格的な城を築き、その周囲に新たに城下町を建設して、この地を「松坂」と命名しました。
歴史につちかわれた松阪
 松阪市は三重県の中部に位置し、古くから軍事・交通上の重要な地にありました。14世紀の南北朝時代には、南朝方の有力な出城が市内の各所に築かれ、たびたび南北両軍の激戦が展開されましたが、15世紀になると伊勢国司・北畠家の支配下に置かれました。1570年、北畠家臣の潮田長助は松坂城跡(国史跡)がある丘陵地に初めて砦を築いたといわれています。
 その後、北畠家が織田信長に滅ぼされると、やがて近江国(滋賀県)日野から蒲生氏郷が入封しました。1588年、氏郷は砦があった丘陵地に堅固な石垣と堀を巡らした本格的な城を築き、その周囲に新たに城下町を建設して、この地を「松坂」と命名しました。

城下町の町割りと松阪商人の台頭

 蒲生氏郷は城の周囲に武士が住む「殿町」を置き、その外側に伊勢街道を引き入れて商人や職人を住まわせました。そして、楽市楽座などの積極的な商業振興策を行いました。
 氏郷の後は服部・古田と領主が替わり、1619年から紀州藩の領地になりました。殿町には役所や武家屋敷が置かれましたが、伊勢街道と和歌山街道沿いに商家が立ち並び、自由闊達な商人の町、宿場町として繁栄しました。
 17世紀以降、松阪商人は競って江戸や京都・大阪に出店を構え、出店で稼いだ財は松阪にもたらされて商都として発展しました。18世紀後期の城下町人口は1万人余りですが、武士人口は他の城下町に比べて極めて少なく、一割にも満たないといわれてます。
松阪商人の江戸進出と商人文化
 蒲生氏郷は城の周囲に武士が住む「殿町」を置き、その外側に伊勢街道を引き入れて商人や職人を住まわせました。そして、楽市楽座などの積極的な商業振興策を行いました。
 氏郷の後は服部・古田と領主が替わり、1619年から紀州藩の領地になりました。殿町には役所や武家屋敷が置かれましたが、伊勢街道と和歌山街道沿いに商家が立ち並び、自由闊達な商人の町、宿場町として繁栄しました。
 17世紀以降、松阪商人は競って江戸や京都・大阪に出店を構え、出店で稼いだ財は松阪にもたらされて商都として発展しました。18世紀後期の城下町人口は1万人余りですが、武士人口は他の城下町に比べて極めて少なく、一割にも満たないといわれてます。

原田邸と武家屋敷群の町並み

 松坂城跡(国史跡)の東側には、城を警護する武士軍団が住んだ御城番屋敷(国重要文化財)や、同心という役職の役人たちが住んだ「同心町」が置かれました。
 原田邸は19世紀中期に建てられた小規模な武家屋敷ですが、2階部分は1882年に原田二郎が書斎として増築しています。この屋敷と建物は、2009年に原田積善会から松阪市に寄贈されました。松阪市は有形文化財に指定して復元・整備を行い、2012年から一般公開しています。
 原田邸周辺には、今も19世紀中期の武家屋敷が所々に残っています。家々の広さは一軒平均200坪余りあり、家の周囲には生垣が巡らされています。
 原田邸から御城番屋敷、そして松坂城跡へと続く道を散策し、松阪特有の武家屋敷の町並みをお楽しみください。
小津紙店の昔と今
 松坂城跡(国史跡)の東側には、城を警護する武士軍団が住んだ御城番屋敷(国重要文化財)や、同心という役職の役人たちが住んだ「同心町」が置かれました。
 原田邸は19世紀中期に建てられた小規模な武家屋敷ですが、2階部分は1882年に原田二郎が書斎として増築しています。この屋敷と建物は、2009年に原田積善会から松阪市に寄贈されました。松阪市は有形文化財に指定して復元・整備を行い、2012年から一般公開しています。
 原田邸周辺には、今も19世紀中期の武家屋敷が所々に残っています。家々の広さは一軒平均200坪余りあり、家の周囲には生垣が巡らされています。
 原田邸から御城番屋敷、そして松坂城跡へと続く道を散策し、松阪特有の武家屋敷の町並みをお楽しみください。

実業家原田二郎と原田積善会

 1849年、実業家で知られる原田二郎は、松坂町奉行所に勤める同心の家に生まれました。21歳から京都や東京で遊学の後、27歳で大蔵省に就職し、31歳の若さで第七十四国立銀行(横浜銀行の前身)の頭取に就任しました。しかし、やがて体調を崩し、松阪に戻っています。
 54歳の時、二郎は有名な政治家・井上馨に依頼され、大阪の鴻池銀行を再建しました。そして1920年、全財産1020万円(現在の約150億円)を投じて、財団法人原田積善会を設立、以来、現在にいたるまで全国の社会公益事業に対して様々な助成活動を行っています。市内でも、初めての学校給食の実施、病院の建設、桜の植樹運動、大学生奨学金の支給などに助成されています。
創業の地に残る小津家本宅
 1849年、実業家で知られる原田二郎は、松坂町奉行所に勤める同心の家に生まれました。21歳から京都や東京で遊学の後、27歳で大蔵省に就職し、31歳の若さで第七十四国立銀行(横浜銀行の前身)の頭取に就任しました。しかし、やがて体調を崩し、松阪に戻っています。
 24歳の時、二郎は有名な政治家・井上馨に依頼され、大阪の鴻池銀行を再建しました。そして1920年、全財産1020万円(現在の約150億円)を投じて、財団法人原田積善会を設立、以来、現在にいたるまで全国の社会公益事業に対して様々な助成活動を行っています。市内でも、初めての学校給食の実施、病院の建設、桜の植樹運動、大学生奨学金の支給などに助成されています。
〇開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
〇休館日:毎週水曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始
〇入館料:一般 100円/6歳以上18歳以下 無料
※20名以上の場合は、団体割引があります。
※その他お得チケット、「旧長谷川治郎兵衛家」、「旧小津清左衛門家」との3館共通券もあります。
※障害者手帳等をお持ちの方は、ご本人様と介助者1名の入館料が無料になります。受付で直接、障害者手帳等(ミライロIDを含む)の提示をお願いします。
〒515-0073 三重県松阪市殿町1290番地
TEL:0598-23-1656
○JR・近鉄松阪駅から徒歩約15分
松阪駅より三交バス「松阪中央病院行き」「嬉野一志町行き」「小野行き」「市街地循環バス(鈴の音バス)」に乗車~「市役所前」で下車 徒歩約10分
○大型バス駐車場については、松阪市観光協会へお申し込みください。
詳しくはコチラ
○伊勢自動車道松阪インターから車で約10分(松阪市駐車場へ)
※車は松阪市駐車場にお停めください。駐車場からは徒歩約15分となります。
【パンフレット《PDF》ダウンロードはコチラ
旧長谷川治郎兵衛家 詳しく見る
旧小津清左衛門家 詳しく見る