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2020/9/30~12/20
2020/7/15〜9/27
歴史 History
木綿栽培の普及と染織技術の発達
木綿栽培は、15世紀末期の頃から東海地方や近畿地方を中心に始まり、やがて16世紀後期に本格化しました。三重県下では、松阪市や津市・鈴鹿市一帯の伊勢平野で栽培されました。
木綿の商品化には、木綿栽培技術とともに高度な染織技術が必要になります。松阪市東部には、古来、伊勢神宮に奉納する麻布を織る神麻続(かんおみ)機殿(はたどの)神社、絹布を織る神服織(かんはとり)機殿神社があり、地元の人々が織りの技術を伝えてきました。また南部の法田村には、17世紀初期には高度な染め技術を持った紺屋集団が存在しました。
このような歴史的背景もあって、松阪商人は藍染めを基調とした縞模様のブランド商品「松阪縞」を生産し、江戸で売り出しました。
木綿栽培は、15世紀末期の頃から東海地方や近畿地方を中心に始まり、やがて16世紀後期に本格化しました。三重県下では、松阪市や津市・鈴鹿市一帯の伊勢平野で栽培されました。
木綿の商品化には、木綿栽培技術とともに高度な染織技術が必要になります。松阪市東部には、古来、伊勢神宮に奉納する麻布を織る神麻続(かんおみ)機殿(はたどの)神社、絹布を織る神服織(かんはとり)機殿神社があり、地元の人々が織りの技術を伝えてきました。また南部の法田村には、17世紀初期には高度な染め技術を持った紺屋集団が存在しました。
このような歴史的背景もあって、松阪商人は藍染めを基調とした縞模様のブランド商品「松阪縞」を生産し、江戸で売り出しました。
松阪商人の江戸店
17世紀前期から、松阪商人は盛んに江戸や京都・大阪に出店を構えました。彼らは、伊勢商人と呼ばれ、大阪商人・近江商人とともに日本三大商人の一つとして名をはせました。
松阪商人の多くは江戸の日本橋周辺に出店を構え、伊勢地方産の様々な商品を商いましたが、その中でも松阪木綿を商う店は大伝馬町に集住しました。18世紀初期の大伝馬町には、木綿問屋が70軒余りもありましたが、松阪出身の長谷川・小津・長井、津市の田中・川喜田等が軒を連ねていました。
また、近隣の駿河町には三井、本町には伊豆蔵という松阪出身の大手の呉服商が店を構え、ここでも松阪木綿を販売していました。
17世紀前期から、松阪商人は盛んに江戸や京都・大阪に出店を構えました。彼らは、伊勢商人と呼ばれ、大阪商人・近江商人とともに日本三大商人の一つとして名をはせました。
松阪商人の多くは江戸の日本橋周辺に出店を構え、伊勢地方産の様々な商品を商いましたが、その中でも松阪木綿を商う店は大伝馬町に集住しました。18世紀初期の大伝馬町には、木綿問屋が70軒余りもありましたが、松阪出身の長谷川・小津・長井、津市の田中・川喜田等が軒を連ねていました。
また、近隣の駿河町には三井、本町には伊豆蔵という松阪出身の大手の呉服商が店を構え、ここでも松阪木綿を販売していました。
江戸店の経営と主人の趣味・教養
長谷川家は、1675年に江戸の大伝馬町で創業しました。その後、江戸で木綿問屋を5店舗、三河国平坂(へいさか)(愛知県西尾市)で木綿仕入店を経営し、この店には、120人余りの従業員が働いていました。
主人は、出店の経営を従業員に任せて、家族とともに松阪に住みましたが、常に人事権を持ち、手紙でもって経営方針を指示しました。そして、松阪周辺で優れた従業員を雇い入れ、江戸店に送り込みました。
伊勢商人の目玉商品であった木綿は、18世紀後期には松阪から55万反余りを江戸へ出荷しましたが、長谷川家の江戸店は4万反余りを商いました。
松阪の主人は、紀州藩役所の仕事をしながら、余暇には茶道や和歌・俳句などの文芸活動を嗜みました。茶道の千宗室や国学者の本居宣長らに学びながら、彼らのスポンサーとして金銭的な支援を行いました。
長谷川家は、1675年に江戸の大伝馬町で創業しました。その後、江戸で木綿問屋を5店舗、三河国平坂(へいさか)(愛知県西尾市)で木綿仕入店を経営し、この店には、120人余りの従業員が働いていました。
主人は、出店の経営を従業員に任せて、家族とともに松阪に住みましたが、常に人事権を持ち、手紙でもって経営方針を指示しました。そして、松阪周辺で優れた従業員を雇い入れ、江戸店に送り込みました。
伊勢商人の目玉商品であった木綿は、18世紀後期には松阪から55万反余りを江戸へ出荷しましたが、長谷川家の江戸店は4万反余りを商いました。
松阪の主人は、紀州藩役所の仕事をしながら、余暇には茶道や和歌・俳句などの文芸活動を嗜みました。茶道の千宗室や国学者の本居宣長らに学びながら、彼らのスポンサーとして金銭的な支援を行いました。
現代まで受け継がれた歴史的文化遺産
江戸で稼いだお金は主人の許に送られため、松阪の本宅は徐々に敷地を広げ、増築・新築を繰り返しながら大きな屋敷になりました。
30以上の部屋がある主屋と5棟の蔵は、17世紀後期から20世紀初期に順次建てられもので、国の重要文化財に指定されています。現存する古い商家としては、国内でベストテンに入るものです。蔵の裏手には、19世紀末期に築造された池を中心とする日本庭園と座敷・茶室などがあり、四季折々の風情を楽しむことができます。
長谷川家では、創業以来の土地・建物・資料とともに、近年まで昔ながらの生活習慣や年中行事が守り継がれてきました。これは全国的にも非常に珍しく、生きた文化財として高く評価されています。
江戸で稼いだお金は主人の許に送られため、松阪の本宅は徐々に敷地を広げ、増築・新築を繰り返しながら大きな屋敷になりました。
30以上の部屋がある主屋と5棟の蔵は、17世紀後期から20世紀初期に順次建てられもので、国の重要文化財に指定されています。現存する古い商家としては、国内でベストテンに入るものです。蔵の裏手には、19世紀末期に築造された池を中心とする日本庭園と座敷・茶室などがあり、四季折々の風情を楽しむことができます。
長谷川家では、創業以来の土地・建物・資料とともに、近年まで昔ながらの生活習慣や年中行事が守り継がれてきました。これは全国的にも非常に珍しく、生きた文化財として高く評価されています。
日程 Schedule
ご案内 Guide
〇開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
〇休館日:毎週水曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始
〇入館料:一般 400円/6歳以上18歳以下 200円
※20名以上の場合は、団体割引があります。
※その他お得なチケット、「旧小津清左衛門家」との2館共通入館券、さらに「原田二郎旧宅」を加えた3館共通入館券もあります。
※障害者手帳等をお持ちの方は、ご本人様と介助者1名の入館料が無料になります。受付で直接、障害者手帳等(ミライロIDを含む)の提示をお願いします。