ozu-test

NEWS

歴史につちかわれた松阪

 松阪市は三重県の中部に位置し、松阪牛の生産地として知られています。17世紀以降、日本を代表する商人を輩出した商業の町として栄え、現在も三重県下の経済拠点の一つです。
 市内には、国内最古の土偶が出土した粥見井尻遺跡や西日本最大級の祭祀場を持つ天白遺跡などの縄文遺跡、国内最大の船形埴輪が出土した宝塚古墳などが点在し、原始から開けた地域であったことを物語っています。
 古代から中世には、都から伊勢神宮へ通じる街道が整備され、また北畠家の城が随所に築かれて、要衝の地として重要な役割を果たしました。
 近世には、城下町・宿場町として繁栄し、各所に残る武家屋敷や商人街の町並みから、当時の面影を偲ぶことができます。
歴史につちかわれた松阪
 松阪市は三重県の中部に位置し、松阪牛の生産地として知られています。17世紀以降、日本を代表する商人を輩出した商業の町として栄え、現在も三重県下の経済拠点の一つです。
 市内には、国内最古の土偶が出土した粥見井尻遺跡や西日本最大級の祭祀場を持つ天白遺跡などの縄文遺跡、国内最大の船形埴輪が出土した宝塚古墳などが点在し、原始から開けた地域であったことを物語っています。
 古代から中世には、都から伊勢神宮へ通じる街道が整備され、また北畠家の城が随所に築かれて、要衝の地として重要な役割を果たしました。
 近世には、城下町・宿場町として繁栄し、各所に残る武家屋敷や商人街の町並みから、当時の面影を偲ぶことができます。

松阪商人の江戸進出と商人文化

 1588年、蒲生氏郷は新たに城と城下町を築き、松阪と命名しました。メイン道路沿いには商人を住まわせ、自由に商売ができる制度を布きました。
 17世紀前期から、松阪商人は江戸や京都・大阪に進出しましたが、18世紀後期には江戸の日本橋界隈で松阪出身者50人が店を構えていました。彼らは、江戸では「伊勢商人」と呼ばれ、日本三大商人の一つとして名をはせます。
 江戸店では、伊勢地方産の様々な商品を商いましたが、その中でも縞模様の木綿はブランド商品化され、江戸っ子たちに好まれました。
 出店で稼いだお金は、江戸や京都・大阪の文化や情報とともに松阪にもたらされ、松阪特有の商人文化が芽生えました。
松阪商人の江戸進出と商人文化
 1588年、蒲生氏郷は新たに城と城下町を築き、松阪と命名しました。メイン道路沿いには商人を住まわせ、自由に商売ができる制度を布きました。
 17世紀前期から、松阪商人は江戸や京都・大阪に進出しましたが、18世紀後期には江戸の日本橋界隈で松阪出身者50人が店を構えていました。彼らは、江戸では「伊勢商人」と呼ばれ、日本三大商人の一つとして名をはせます。
 江戸店では、伊勢地方産の様々な商品を商いましたが、その中でも縞模様の木綿はブランド商品化され、江戸っ子たちに好まれました。
 出店で稼いだお金は、江戸や京都・大阪の文化や情報とともに松阪にもたらされ、松阪特有の商人文化が芽生えました。

小津紙店の昔と今

 小津清左衛門家は、1653年に江戸の大伝馬町で小津屋紙店を創業し、その後、その隣に伊勢屋木綿店、向い側に大橋屋紙店を開業しました。この3店には、松阪周辺から雇い入れた110人余りの従業員が働いていました。紙店では地元産の深野紙をはじめ、全国各地の紙名産地から仕入れました。
 18世紀の頃、江戸の町は全国から集まった武士・商人たちが住む人口約100万人の世界最大の消費都市になりました。そのため、紙の需要はますます高まり、小津屋と大橋屋は江戸で一番といわれる紙問屋になりました。
 近代以降、経営の形態は変わったものの、東京の小津紙店(小津産業)は日本有数の紙問屋として、現在も創業以来の地で脈々と営業を続けています。
小津紙店の昔と今
 小津清左衛門家は、1653年に江戸の大伝馬町で小津屋紙店を創業し、その後、その隣に伊勢屋木綿店、向い側に大橋屋紙店を開業しました。この3店には、松阪周辺から雇い入れた110人余りの従業員が働いていました。紙店では地元産の深野紙をはじめ、全国各地の紙名産地から仕入れました。
 18世紀の頃、江戸の町は全国から集まった武士・商人たちが住む人口約100万人の世界最大の消費都市になりました。そのため、紙の需要はますます高まり、小津屋と大橋屋は江戸で一番といわれる紙問屋になりました。
 近代以降、経営の形態は変わったものの、東京の小津紙店(小津産業)は日本有数の紙問屋として、現在も創業以来の地で脈々と営業を続けています。

創業の地に残る小津家本宅

 小津家は、同郷の三井家・長谷川家・長井家などとともに、日本屈指の富商になりました。江戸店で稼いだお金は、松阪に住む主人に送られたため、松阪の本宅は徐々に敷地を広げ、増築・新築を繰り返しながら大きな屋敷になりました。
 現在の敷地は、全盛期の約5分の3ですが、19世紀末期には主屋の北側に来客用の建物、東側に分家の建物があり、蔵が9棟もありました。現存する建物群と蔵2棟は、17世紀末期から19世紀中期に順次建てられました。
 松阪市は、約6億5千万円を投じて、土地を購入して復元・整備を行い、松阪商人ゆかりの貴重な文化財として保存・公開してきました。現在、建物は三重県有形文化財、敷地は松阪市史跡に指定されています。
創業の地に残る小津家本宅
 小津家は、同郷の三井家・長谷川家・長井家などとともに、日本屈指の富商になりました。江戸店で稼いだお金は、松阪に住む主人に送られたため、松阪の本宅は徐々に敷地を広げ、増築・新築を繰り返しながら大きな屋敷になりました。
 現在の敷地は、全盛期の約5分の3ですが、19世紀末期には主屋の北側に来客用の建物、東側に分家の建物があり、蔵が9棟もありました。現存する建物群と蔵2棟は、17世紀末期から19世紀中期に順次建てられました。
 松阪市は、約6億5千万円を投じて、土地を購入して復元・整備を行い、松阪商人ゆかりの貴重な文化財として保存・公開してきました。現在、建物は三重県有形文化財、敷地は松阪市史跡に指定されています。
〇開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
〇休館日:毎週水曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始
〇入館料:一般 200円/6歳以上18歳以下 100円
※20名以上の場合は、団体割引があります。
※その他お得なチケット、「旧長谷川治郎兵衛家」との2館共通入館券、さらに「原田二郎旧宅」を加えた3館共通入館券もあります。
※障害者手帳等をお持ちの方は、ご本人様と介助者1名の入館料が無料になります。受付で直接、障害者手帳等(ミライロIDを含む)の提示をお願いします。
〒515-0081 三重県松阪市本町2195番地
TEL:0598-21-4331
○JR・近鉄松阪駅から徒歩約10分
松阪駅より三交バス「松阪中央病院行き」に乗車~「本町」で下車 徒歩約2分
○大型バス駐車場については、松阪市観光協会へお申し込みください。
詳しくはコチラ
○伊勢自動車道松阪インターから車で約10分(松阪市駐車場へ)
※車は松阪市駐車場にお停めください。駐車場からは徒歩約8分となります。
【パンフレット《PDF》ダウンロードはコチラ
旧長谷川治郎兵衛家 詳しく見る
原田二郎旧宅 詳しく見る